小泊行きに乗り、日本海を見る

kikuyuki2006-10-07

十三湖を見た自分、青森の街に行くつもりで停留所に行くと次のバスまで1時間強。
乗り物を待つことができず、すぐに歩き出し市浦村消防署の人に、おすすめコースを尋ねてみる。
「何もねえんだわー、このへん」
むむ、何もなくないのだが。ちょっと頑張って歩けば、
縄文土器が発掘されたらしい大沼公園という大きなハイキングコースも設けられている公園に出る。誰もいない。大きな沼と橋2.3本を独占!
ここ辺りの人はすごく親切に、よく教えてくれる。    
ただ「この辺何もないのよ」「それしか建物ないからわかるわよ」とか、一見土地に自信のないような返事が多い。
だが、すごく地元の人たちの地元への郷土愛の裏返しを勝手に感じていた。

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停留所に戻るとひとり女性が先に待っていた。めずらし。
人を見ると話しかけたくなるこの場所。
私はその夜弘前市に泊まるのだ、かなり北上して十三湖にきてしまった。村を出て五所川原市経由で街に行かなければ。
一方彼女は更に北上、小泊ゆきを待っていた。「海が見たくなってね」と。
里帰りで市浦村にいた女性は結婚して札幌に住んでいるという。
海が見たいという彼女の言葉が、異常に私を誘惑してバスの最終を聞けば私の電車の最終にも間に合い、共に行く?行こうか?さあ行こう。

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バスは山路をのぼって北へ進む。…外の風景を覗き見る。やっぱり北津軽だ。どこやら荒い。人の肌の匂いがないのである。山の樹木、いばらも、笹も、人間と全く無関係に生きている。

小泊といえば、「津軽」クライマックス。
十三湖の北に権現岬(↓)その先は、日本海


私は生れてはじめて 心の平和を体験したと言ってもよい

太宰治が『津軽』でそう書いた場所にあたる、心の母たけさんとの再会の場の運動場はおそらくこの記念館の前にあった運動場だろう。どちらでもよいが。正確を求めるのなら調べてほしい。そんなエピソードもあり、小説「津軽」の像記念館たるものがここにある。
太宰治津軽の事を書かないか、と言った小山書店は津軽に、青森に、陰ながら多大なる貢献しているだろう。「津軽」で触れたありとあらゆる場所に色々な記念碑がある。
  
ここ、無料休憩所があったりで親切な記念館。

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小高い場所にある記念館を下って、イカが干してある光景を眺めて、お昼の食べていない私はお腹がすいてたまらなくなると、停留所から一緒の女性が「ここ、知り合いの店なんだよ」と案内してくれ、言われるがままに入ると高そうな寿司屋。てか、高いよ。
なんでもいいよー、っていわれても。寿司のなんでもほど困ることはない。鯨の刺身とかあったな。出されるがままに、サザエやらウニやら、小さめなしゃりではあったが10種類くらいは食べたかなあ。おいしいおいしい、で値段を気にしていなかったが友人プライス¥1500!破格!(とはいっても先程、停留所で会って、また停留所で別れる私たち。全ては旅のご縁)

海が見たい、と彼女は言って私はそれにつられたのだ、自然と足は海に向かう。
「やっぱりねえ、日本海なんだよ。海はこうでなきゃ。」
日本海の波を眺め、彼女は言う。「札幌は、北海道からじゃだめ。」
海なし埼玉県民の私は常々深く思うことはないが、そのとき日本海の荒々しさがすごく格好いいものだと思った。

停留所での彼女との出会いに感謝。心から。(寿司屋さんの遠い親戚の方含め。)