10区のローカル地域から1区の観光地に歩いて帰ろうと無謀なことをしていたら地図にない地区をさまよっていたらしい。何が楽しくて蒸し暑い中散歩を!くれいじー!

しかしホーチミンシティは狭い。ちょっと出ると似た通り、似た店、とにかく似た景色だらけで頭は暑くてふらふらで、バイクは相変わらずブンブン飛ばしていて、ベトナム人は絶対生きる強さがあると思わずにいられない。すぐに水に飛びつく観光客が弱っちく見える。
観光ビジネスとしてみると、観光客が落ち着かない、私からするともったいない所も感じるけれど、しかしそれはたくましく生きている人たちがいるということなのだ。極論、金のある日本人は行って金を巻き上げられた方がいい気がするくらい。それというのはあまりにも日本にいる自分は平和ぼけすぎて怖い。(ベトナムでも金もなければ巻き上げられもしない自分だが。)そういえばその地図外れにさまよった時は数時間かけてオーストラリアンと解決した珍事件だった!

ああ、何を書くか書かないべきか。
なんだか9日間で会えるか会えないかわからないけれど大好きな人が増えて、多分それを財産とか経験とかそういう言い換え方もできるような出来事で、ちなみに私は英会話学校in Vietnamに一週間通って、言葉の全く通じない国ベトナムでは、私のカタコト英語ですら少しでも言葉が通じるということに学校にやたら安心感を感じた。

なぜならば私の旅なんてのは、いつもノープランか半日迷子で気がついたら交番とか平気で行っちゃうんだけど、捕まっても怖いし!とか思っていたら、いつも観光客で助け合っていた。私だけじゃなくて。
それはそれで素敵かも。今となっては。

英会話in Vietnamで旅について語っていて、
Life is traveing!! ってな先生が現れてうまく話せないのに意気投合するってあるんだ、ってことに感動した。
ああなんてこと。意気投合っていうと違うかもしれない、でもすごくわかる。ああ、その人生すごくわかるんだよ。
その生き方を選ぶの、わかるんだよ。
それが嫌いなのも好きなのも、わかるし、ああ、そう思うのか、なるほど、と思し、と思って行動するって、尊敬する。
ああああ!英語で話せたらすごい語り合いたい!って最近ないそういう魅力的な人にあった。
やばい惚れるよ、ってくらいに。
彼のような人生は素敵だと心から感じる。
外国人への憧れかとか好みとかとかでなくて、確かに英語圏に生まれたことへの疎ましさはあるけど、家族を除いていい影響をくれた誰かを思い出すとすれば今なら絶対、彼。サイモン。
(辛口ジャッヂはしないよ、サイモンだけど)

本当にいい出会いをして、まだ書ききれないくらいの出会いがあって、
そのチャンスを私は生かしたい。
ああ、会えてよかったよ。また会いたいよ、もう少しましに話せるようになったら。

私の英語におけるフィーリングが果たして正しいものかわからないけれど、すごく気持ちのいい出会いだった。
オペラハウスの横、確か10階レストランからの眺めはホーチミン一番の夜景。